第拾六話「命鐘、鎭守の森」
「ふぁぁ〜、今日は休日か〜」
今日は1月15日、成人の日である。休みということもあり、私は目覚ましを使わず普段より遅めに起床した。
「おはようございま〜す」
「あっ、おはよう祐一君」
「えっ!?」
いつものように下に降り、朝の挨拶をした所、玄関に何故かあゆの姿があった。
寝惚けているのか?そう思い頬をひねってみるが、痛みを感じるのでどうやら夢では無いようである。
「じゃあ、さようなら、秋子さん」
「また機会があったらいらして下さいね、あゆちゃん」
と、その光景に呆然としている内に、あゆは秋子さんに別れの挨拶をし、家から出て行った。
「秋子さん…、これは一体どういう事ですか…?どうしてあゆがここに…!?」
「今日の朝雪掻きをしていましたら、家の前をあゆちゃんが通りかかったので、折角だから一緒に朝食を召し上がらないかと訊ねたんですよ。そしたら二つ返事であゆちゃんが了承したので、朝食に招いたのです」
「秋子さん…、偶然見かけただけで朝食に招かないで下さい…。あれっ、それよりもどうして秋子さんがあゆの事知っているんですか?」
この間、あゆがこの家に来た時、その場に秋子さんは居なかった。だから、私には秋子さんがあゆを知っている理由が分からなかった。
「話していなかったかしら?主人とあゆちゃんのお父さんは小学生の頃からの親友同士なのですよ」
「えっ、ええ〜っ!!」
春菊さんと、あゆの父親が親友同士…。その言葉を聞いてふとある考えが私の頭を過った。
「秋子さん…、あゆのお父さんってひょっとして、春菊さんが副團長を勤めていた時の…」
「ええ。團長を勤めていた日人さんですよ」
「やっぱり…。あれっ、でも日人さんの苗字って『李』だって聞いたような…」
「それは日人さんの旧姓ですわ。月宮というのはあゆちゃんのお母さんの苗字で、結婚した時、そちらの苗字に統一したのですよ」
「成程…」
以前からあったわだかまりが一つ解消され、私は安堵した。しかし、一つだけ合点がいかない事がある。あゆが日人さんの子供だったら、何故あの学校に入学しなかったのだろう?
(…ま、あの学校進学校でこの地区ではトップクラスだっていうから、あゆの成績が悪過ぎたんだろうな…。深く考える必要ないか…)
気を取り直し、私は台所に向い朝食を食べる事にした。
「それにしても、凄い雪だな…」
台所を出て、リビングに向かう途中、廊下から外を見上げる。絶え間無く降り続く雪、秋子さんが雪掻きをしたというのも分かる。成人式に行く人達はさぞ大変だろうと思いながら、その光景を暫く眺めていた。
リビングに着くと、とりあえず新聞を広げ、面白い番組があるかどうか探す。
(あまり、見たいような番組は無いな…)
折角の休みだから何処かに出掛けたい所だが、この天気では外に出る気も失せる。暫くリビングのソファーでぼーっとしていると、ふと壁に掛けられている写真に目が止まった。
その写真には大木を中心として若い男女の2組のペアが写っていた。
(あれ?ひょっとしてこの人秋子さん!?若いなあ〜、今の私と殆ど変わらない位だな…。という事は、秋子さんの隣りに写っているのが春菊さんかな…。じゃあ、この残りの1組は…)
「祐一さん、その写真が気になるのですか?」
「わっ、秋子さん。今日は仕事じゃないんですか?」
「知人から服の製作の注文を承ったので、今日は自宅でその服の製作です」
「成程…。で、この写真は?」
「この写真は私と主人の結婚記念に、あゆちゃんのご夫妻と一緒に撮ったものです」
「へぇ〜…」
写真に写っているあゆの両親。父親である日人さんは顔立ちが中国人っぽく、その隣に写っているあゆの母親は何故か巫女装束に身を包んでいた。
「…今、この写真に写っているので生きているのは私だけです…。この時が一番幸せな時だったかも知れません…」
とその写真を見ながらしみじみと語る秋子さん。失った時を羨望する様に…。でも秋子さんは最後に、名雪や祐一さんが居る今も十分に幸せですよ、と付け加えてくれた。
「ところで祐一さん。この木が何処にあるか分かりますか?」
「いえ…」
分からない、と答えたものの、何か引っ掛かるものがある。私はこの場所が何処であるか知っている気がする…、いや、知っている筈だ…。だけど、分からない、思い出せない…、この場所が何処であるか。思い出そうとすると何かに引っ掛かり、思考がその先に進まない。
「そうですか…」
「秋子さん、それでこの場所は何処なんです?」
「それは祐一さん自身で見つける事ですよ」
「えっ!?いったいどういう意味ですか?」
「言葉通りですよ」
と何だか巧妙に話をはぐらかされたような気がするが、とりあえずそれ以上は追及しない事にした。
「それにしても、本当にどこまで積もるんだこの雪…」
「私が子供の頃はもっと降りましたよ」
「これ以上ですか…。あまり想像したくないですね…」
深々と絶え間無く降り続ける雪。現代でさえ雪が降ると生活に多大な影響を与えるのだから、平安時代などはさぞかし大変だったのだろうと、ふと考えた。
「文明が未発達の頃はさぞかし大変だったんだろうな…」
と、思っている事を思わず口にすると、
「そんな事ありませんよ」
と、秋子さんが言ってきた。
「万葉集の最後の歌に、『新しき年の始の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)』という雪を称えた歌があります。雪は大変なものというよりは希望を与えるものみたいに描かれています」
「へぇ〜」
「降り積もった雪は春になると溶け出し、その雪解け水は大地に注がれます。稲作が中心でした時代は、雪は稲作を行う上で貴重な存在だったのですよ」
成程、日本民族は基本的に稲作中心の農耕民族である。雪に対する被害があったとしても、それ以上の恩恵を受けていたのだろう。それだけ生活が自然と密接に結びついていた証拠だろう。だが、自然を疎外し、都市に身を置くようになった現代はどうか?大雪になると、道路は渋滞し、電車はダイヤが大幅に乱れる。雪が多く降る事はどこまでいっても迷惑な事と認識されている。例外はスキー場くらいだろう。
「結局現代において雪は邪魔物か…」
「そんな事ありませんよ」
そう言い終えると、秋子さんは歌を口ずさみ始めた。
「雪のしじまに閉ざされて〜♪炉火に集まる楽しさや〜♪影深々と銀嶺の〜♪波打つ空を望みつつ〜♪…」
「秋子さん、その歌は…?」
「祐一さんが通っている高校の第1応援歌の4番です。第1応援歌は1番は春、2番は夏と、それぞれ四季を称えています。4番は冬についての歌で、雪の中炉火に集まり仲間と集う楽しさを歌っています。現代人も雪に想いを寄せる事がある証拠ですよ」
雪に閉ざされて炉火友人と談合を交わす…。確かに悪い環境ではない。歌詞を聞いただけでその光景が鮮明に脳裏に浮かび上がる。
思えば幼少の頃、ここに来た目的は大抵は雪見たさだった。ソリ滑り、雪合戦、雪だるま作り…、あの頃は日も暮れるのも忘れて雪遊びに興じていたものだ…。だけど、7年前のあの日から雪に対する認識が変わった…。この街に忘れていった記憶のかけら、それを取り戻せばもう1度雪を好きになれるだろうか…?
「う〜んなかなかないものだな…」
ボーッとして無常の刻を刻むのも無駄に思え、とりあえず新聞の求人広告欄に目を向ける事にした。居候の身で小遣いの収入源が無く、お年玉もそろそろつく頃なので、何か良いバイトがあるかと思い探してみた。しかし、田舎という事もあるのか、めぼしい物は見つからなかった。
「ねえねえ、祐一、何見ているの〜?」
と、そこに真琴がやってきた。
「新聞でバイトを探しているんだ」
「祐一さん、あの学校は明確な理由がない限りバイトは禁止ですよ」
「えっ!?そうなんですか…。居候の身で小遣いの収入源が無いから…、じゃ理由にならないか…」
「小遣いが欲しいなら私があげますが?」
「いえ、居候の身でそこまで秋子さんに迷惑はかけられませんよ」
「バイトかぁ〜…。真琴にも出来るかな?」
「坊やの真琴には無理さ(C・V池田秀一)」
「な、何ようっ。見てなさいよ、必ずやってみせるから!」
「やる以前に、真琴位の年齢の子を雇ってくれる所なんかないぞ」
「あ、あう〜っ、そんな〜」
「私の知合いの所で良ければ頼んでみますが?」
「どんなバイト?」
「保育園の保育補助です。子供の世話をするだけですから、真琴ちゃんにも出来ますよ」
「あうーっ。やる、やる〜」
「では早速連絡をしますね」
そう言い、秋子さんはリビングを後にした。
「バイトなんかして、漫画でも買うのか」
「祐一には秘密よぉう」
(ま、本人がやりたいんだって言うんだから、ここは温かく見守ってやるか)
そう思い、私はそれ以上の詮索はしない事にした。
「連絡を入れた所、二つ返事で採用が決まり、明日から来て下さいとの事です」
「わぁい、やった〜」
と真琴は満面の笑顔でリビングを後にした。
「ところで秋子さん、その保育園は何処にあるんですか?」
「祐一さんの学校の昇降口前の道を、駅通りの方向に真っ直ぐ行った先の公園はご存知ですか?」
「ええ、高野長英記念館のあるあの公園ですね」
「その公園内にあるのです」
「へぇ〜」
「場所が場所だけに明日からは真琴ちゃんも乗せて登校ですわね」
「真琴と一緒か…。ま、別に悪くないか…」
「…ええ、間違い無く本人でしたわ…、でもあの娘は…。ええ…、分かっています、こんな事を出来るのはあの人くらい…。やはりあの人は…」
「秋子さん誰と電話しているんですか?」
夕食後、部屋に戻ろうとしたら電話中の秋子さんを見かけ、電話の内容が気になったので、話し掛けてみる事にした。
「祐一さんのお母さんですよ。祐一さんが小遣いに困っていたので、その事に関してお母さんに相談しようと思いまして」
『秋子さん、そこに祐一が居るの?ちょっと変わってもらえないかしら?』
「ええ、分かりました。祐一さん、お母さんがお話があるそうです」
「えっ!?、母が?分かりました」
そう言い、私は受話器を受け取った。
「もしもし、母さん?」
『久し振りね祐一。学校の調子はどう?』
「登校初日に遅刻しそうになって守先生っていう先生に檄を食らったり、バンカラ服の應援團には驚かせられるし、とにかく新しい事尽くめで刺激的な毎日が続いているよ。何より事ある度に母さんと比較されて神経が擦り減る毎日だよ」
『ま、私も入学仕立ての頃から兄さんと比較されてそんな感じだったわ。慣れるまでの辛抱よ』
「それで母さん、俺に何の用?」
『あゆちゃんとは上手くいっている?』
「い、いきなり何て事訊くんだよ!俺とあゆはそんな関係じゃないって!!」
『ふふ、相変わらずね。その様子だと上手くいっているみたいね』
「だからそんな関係じゃ…」
『訊きたかったのはそれだけよ。じゃあね、祐一』
そう言い終えると、母さんは電話を切った。
「全く、本当に何て事訊くんだよ…。あれっ、でも俺があゆと面識があること、どうして母さんが知っているんだ?」
蒲団に就いた後もその事を考えていたが答えは分からず、次第に深い眠りへと落ちていった…。
「ねえ、あゆちゃん、まだ着かないの?もう登り疲れて足がヘトヘトだよ」
「もうちょっとのしんぼうだよ」
とっておきの場所がある。そう言われてあゆに案内されたのは大きな鳥居があるあの山だった。この前お母さんと来た時は登るのが大変そうだったんで登らなかったけど、今日はあゆが誘ってくれたので、頑張って登ることにした。
二つの鳥居の先は急な坂になっていて、木々のトンネルが続いていた。トンネルを抜けた先は広い空間になっていて、出た瞬間の太陽の光がまぶしかった。その先はまたトンネルが続いていたけど、今度のはそんなにきつくなかった。でも、ずっと登りっぱなしだったから、僕の足はもうヘトヘトだった。
「祐一君、この階段を登ったすぐ先だよ」
「ええ〜っ!?この階段…」
あゆが立ち止まったので、ようやく着いたのかと思ったけど、今度は坂の左側にある階段を登らなければならないようだ。その階段は作りが悪く急で、200段くらいは続いていそうだった。
「ふぇ〜…、ようやく登り終わったぁ〜」
「お疲れ様、祐一君。ここがボクのとっておきの場所だよ」
「神社…?」
「うん、ボクのお母さんが神社めぐりをしていた時に、ここでお父さんと出会ったんだって」
「何だろう…、あったかい不思議な感じがする…」
冬だというのにその空間は不思議な温かさがあった。何だろう…、肌に感じる温かさとは違う温かさが…。
「うん、ボクも何となくだけど感じるよ…。お母さんが言ってた、ここはひかれる者同士が出会うとそういう気分になる場所だって…」
『誰かと思えば貴殿と雪子の子か…。人の想いというのも歴史の如く繰り返すのだな…』
『はは、全くだ…』
「えっ!?」
「どうかしたの、祐一君?」
「今人の声が聞こえたような気がする…」
「ふ〜ん…。ボクには聞こえなかったよ」
「あゆちゃんには聞こえなかったのか…。じゃあ気のせいだな…」
「それよりも、祐一君。ちょっと後ろを向いててくれないかな?」
「えっ、別に構わないけど…」
「あゆちゃ〜ん。まだ〜」
「もうちょっと〜」
あゆが後ろを見ててと言ってから何分か経ったけど、あゆちゃんはまだ後ろを見ているようにという。
「ねえ〜、まだなの〜?」
「もういいよ〜」
僕は待ちに待ったとばかりに前を向いた。
「あれっ…!?あゆちゃ〜ん、どこにいるの〜?」
「ここだよ〜」
「ここってどこ〜」
「祐一君の目の前にある木の上だよ〜」
言われるままに僕は目の前にある大木の上を眺めた。するとそこに大きな木の枝に座ったあゆの姿があった。
「何やってるんだ!危ないぞ!」
「平気だよ、ボク高い所大好きだもん。祐一君も登っておいでよ〜」
「僕は高い所は苦手なんだよ〜」
「そっか…、残念…。この景色を祐一君に見せたかったからここに招待したのに…」
「そうだったんだ…、ごめん…」
「いいよ。人には嫌いなものが1つくらいあるもん。ボクも暗い所苦手だし。…わあ…、街があんなに小さく見える…。それに、風がとっても気持ちいいよ〜」
この位置からはあゆの表情までは見ることができない。でも、その心の奥から出ている声を聞くと、あゆがどれだけ景色に感動しているかが分かる。僕もできるならその景色を見てみたかった。でも、やっぱり高い所は怖いから…。
「祐一君、また後ろを向いててくれるかな?」
「分かった」
と言って僕はまた後ろを見た。その瞬間…、
「あら、祐一?こんな所で何しているの?」
「えっ!?お母さん…」
驚いたことに、振り向いて先にはお母さんの姿があった。
「お母さん、どうしてここに?」
「例の知合いのお墓参りよ。それにしても、あれだけ登るのを嫌がっていたのに、何かあったの?」
「うん、実は…」
「お待たせっ祐一君っ!…あっ、雪子おばさんこんにちは」
「あら、久し振りねあゆちゃん。…成程、あゆちゃんに誘われたのね」
「えっ!?お母さんとあゆちゃんって知合い同士だったの?」
「そうよ。あゆちゃんのお父さんとお母さんは小さい頃からの知合いなのよ」
「雪子おばさん、よくボクと同い年の子供がいるって言ってたけど、それって祐一君のことだったんだ…」
しばらく頭が混乱して何がどうなのかよく分からなかった。頭が整理されてきて、ようやく思い出したことがある。言われてみればこの街に来る度にお母さんは僕をある人の家に連れて行こうとしていた。同い年の子供がいるから遊んだりできると言われても、僕は名雪と遊ぶのに夢中で、結局その誘いに乗ることは一度もなかった。
「そうだ!木の上ほどじゃないけど街が見渡せる場所があったよ」
「えっ、どこ?」
「あそこね、あゆちゃん」
「うん、ボクのお父さんとお母さんが眠っているあの場所…」
「ホントだ、街や山が遠くまでよく見えるよ」
あゆに招待された場所、そこはお母さんが話していた、山の上にある墓地だった。来た道とは別の下山する道の途中にその墓地はあった。山の丘に作られたその墓地は開けた場所で、本当に見渡す限りの景色だった。小さく見える街のずっと先には奥羽山脈が三方に広がっているのが見え、この街が僕が今いる北上高地を合わせた四方を山に囲まれた盆地に位置するのが体感できた。
「そして、ここがボクのお父さんとお母さんが眠っている墓…」
あゆのお父さんのお墓、それは丘の一番てっ辺にあった。
「日人さんが死ぬ間際に言ったのよ。墓を作るならこの街をよく見渡せるこの山の墓地に作ってくれって…」
としみじみと呟くお母さん。
「ねえ、お母さん。人は死んだらどうなるの?天国って本当にあるの?」
墓の前に来て、いつも心に抱いていた死への疑問が一気にふくれ上がり、そのわだかまりを止められずに、僕は思わずお母さんに聞いてみた。
「そうね…。天国が本当にあるかどうかは分からないわ…。でも、1つだけ言える事があるわ。祐一、お葬式の前に何故火葬をするか分かる?」
「ううん」
「それはね、人の魂を空に旅立たせる為よ」
「そら?」
「そう空。空に上げられた魂は大気を旅し、その旅を終えると再び地上に舞い降りるの。そして降りた所からまた新しい生命が始まるのよ。これが所謂輪廻転生という考え方よ」
「う〜ん、よく分からないや…」
「祐一がもう少し大きくなれば分かるようになるわよ」
「『…だけど、この世に未練を残した強い想いの魂は旅立つ事が出来ない。その魂を呼び寄せ未練を浄化し、空へ旅立たせるのが私の使命…』だよね、お母さん…」
僕とお母さんが話している間、あゆが何かをつぶやいていた。でも、お母さんの話と同じで、僕にはあゆが何を言っているのかよく分からなかった。
「お父さん、お母さん…、ボクはもう大丈夫だよ。祐一君が側にいてくれれば、お父さんとお母さんがいなくても、寂しくないよ…」
…第拾六話完
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